ロッテは10日、自身のツイッターに不適切な書き込みをしたとして、神戸拓光(こうべ・たくみ)外野手(28)を厳重注意した。
神戸は同日朝、東京・三鷹市で発生した女子高校生殺人事件について投稿。
殺害された女子生徒の名誉を傷つけるような内容がネット上で騒動となり、球団事務所には抗議電話が殺到した。
球団はフェニックス・リーグ(宮崎県)に参加中の神戸と連絡をとって文言を削除させた上、同日夜までに同じツイッター上で本人が謝罪した。
林球団本部長は「大変に申し訳ない。ご遺族、関係者に深くおわびします」と陳謝し、11日以降に追加制裁を科す可能性を示唆した。
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。(マタイ7:1-2)
山上の垂訓の一節である。三鷹の事件について、痛ましく思う人もいれば何の感情も抱かない人もいるだろう。しかし、わざわざ無関係だった人間が無責任な「裁き」を衆目に晒す必要があるのかと思わずにいられない。
この事件の幾つかの側面が、それぞれ少しずつ世間の好奇心を刺激しているように思う。
思いつくままに幾つか挙げてみれば、被害者が未成年の芸能人であったこと、加害者とネットを通じて知り合っていたこと、加害者がハーフであること、警察の対応がまたもや杜撰であったこと、などである。
そして、特にネットでは被害者の写真が流布されたという点で、センセーショナルな事件として扱われているのだと思う。
しかし、考えてみれば「警察に関すること」以外は、どれだけ悲劇的であっても偶然見えてしまった極めてパーソナルな問題である。誰かのプライベートに対して、野球選手だろうと誰だろうとが文句垂れる筋合いがあるのか?
そして、この垣間見えた個人の私生活も、その人間の小さな小さな断片にすぎない。
事情を知らない私達が、その断片を歪に繋ぎ合せてフィクションを作り出して楽しんでいるとすれば、とてつもなく下衆でおぞましいことじゃないか。
この事件の裏に何があったか知る由もないのに、それを加害者であれ被害者であれ裁くことなどできるはずがないではないか。
私の少ない人生経験の中でも、ボコボコにぶん殴りたいほどムカついた奴もいる。今更どうでもいいけど納得していないことも沢山ある。
逆に私を殺したいほど憎んでいるヤツだっているかもしれない。
まだ偶然行為に及んでいない、行為に至らなかっただけだ。もし事件になったとしても何も知らない奴らに、あーだこーだ言われたくはない。
偶然であれ彼ら彼女らのプライベートを覗いてしまった人間は、もはや事件と無関係ではないのかもしれないが、その中で「知ってしまったこと」と「知らないこと」を謙虚に見極めるべきではないだろうか。
我々は加害者が法に則って適切に裁かれることこそを見届けるべきではないか。
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