11 January 2014

気になるラヂヲはBBC(フェミニズムについて)

果たして効果があるのか解らないが、英語の勉強だと思って数年前からブラウザのホームをBBCのトップページにしている。検索エンジンではないので多少不便だが、個人的に興味のある中東や欧州のニュースなんかが日本語メディアよりも少しだけ早く読めるというメリットもある。

たまに日本のニュースがトップになることがあるが、BBCで報道されるようなものは既に日本でも大きく報道されているのでそんなに驚くことはない。大きな選挙や汚染水問題は定期的にトップになるし、最近だとオリンピック招致や山本太郎が園遊会で天皇に手紙を渡したニュースなんかが報道されていた。

ところが、私が寡聞なだけかもしらんが聞いたこともない日本のニュースがBBCに登場した。


私のように何のことかサッパリという人のために記事を要約したい。

人工知能学会という学会の会報の表紙が公募により、ある女性作家のイラスト(上記)になった。 「人工知能がいかに日常生活に影響しうるか」を表現したものというが、同じく芸術家のスプツニ子!は「グローバルなジェンダー感覚が足りんわ~、もしアメリカの学会誌がこれをやったら大変なことになるで?」と言う。
学術界もソーシャルネットユーザーも、この会報は相応しくないと考えているようだ。大阪大学教授の平川秀幸は「科学誌にこの表紙は不適切なんじゃない?」と朝日シュンブン(笑)に語る。
人工知能学会会報の編集部局長は「公募の中で、会員のいっちゃん人気がコレだったの!」と述べている。


「スプツニコって誰だよ」って思ったらMITの助教さんだったようで笑
調べてみると、主戦場はツイッターのようで、そこでMITで教鞭をとる美人芸術教師が人工知能学会の表紙をめぐってオタク達と喧々諤々とやりあっているのである。すごい眺めである。
彼女のツイッターのアカウントを覗くと、タイミング良くご自身で問題の纏めをしていらっしゃったので引用させてもらいます。


引用させてもらって不躾だけど、私は素直に全てを納得することができない。
例えば③であるが、「反抗的なロボット」を作ろうとする人間がいたとして、わざわざそんな人に基準を置く必要があるのだろうか?または「だったら男性をモチーフにしたロボットも同様に問題提起してるの?」と思うのは不自然だろうか。
んで⑤~⑧はMITのセンセー相手に恐縮だけど、それ「外国被れ」というやつじゃ…(笑)

筆者は大学生のころに、フェミニズムの講義をとっていたことがある。当時は正義に燃える純真な心が残っていたので「性差別なんて不公平はイカン!」と強く思っていたのね。そのときに、フェミニズム関連の本を数冊読んだのだけどウンコがちびるほどビビった記憶がある。(で、数冊でやめた笑)

ジェンダーロールの呪縛は確かに正しいと思えるものであるし、事実私の女性観もかなり変容したことは認めなくてはならない。しかし、中には欧米的な進歩主義と結びついて例えば「イスラームのブルカは女性差別の象徴だから禁止しろ」というようなものも良く目にした。(新イスラームのフェミニストも多くいたが、当時フランスでブルカ禁止法が成立した直後であり、そのようなモダニスト的主張が目立っていた。)

他にも「女嫌いはミソジニー、女好きもミソジニー、だって男は全てミソジニー」ってな主張や、ラディフェミを名乗る女友達が「私は私を邪魔するものが許せないからフェミニストなの!」なんて言うのを聞いて二十歳のボクはすっかり幻滅したのだった。(彼女達がオチンチンついてる人を糾弾すんのは勝手だけど、ミサンドリーが前提となり糾弾が目的化したステージにおいては、男は隷属or差別主義者しか選択肢がない)

大学を卒業した後、ホテルや式場で配膳の仕事をしていたことがある。ユニフォームは男性が蝶ネクタイにブレザー、女性はメイド服が基本なんだけど、果たして仕事にプライドをもつ彼女達からメイド服を脱がせることが女性の解放だろうか。イスラームの女性から伝統衣装であるブルカやスカーフを奪い去ることが「進歩的」なのだろうか。

だからスプツニコさん。「学会誌名乗るなら欧米の価値観に従えや」って、やっぱりおかしいと思う。学問をそれほどまでにローカルなものにするのは、むしろ学問への反駁ではないだろうか。
①、②についてはそういう見方があることには同意するけど、「ステレオタイプの恣意性=暴力」か否かについては議論があるとこだろう。
実際、恣意性や方向性の力をすべて消そうとしたら、あまねく言語は消滅することになる。(そういえば「言語の誕生以前にジェンダーは存在しない」なんてのもあったなぁ…)
言うまでもなく女性も言葉を使っているのだけど、「言葉は男性的なものであり、女性はそれを借りているにすぎない」という。つまり「元々男が言葉を作ったのだから、女性は女性としての視点を持たない。故に女性が発する恣意性の暴力は男の責任である」ということらしい笑
こういうのを見ていると、フェミニズムが許す範囲の表現や言語って、オーウェルの世界になる気が。まぁ、恣意性を完全に排した世界では「ニュースピーク」すら永遠に成立しないわけだが笑

話がそれたけど、言語や表現に「誰かを傷つける恣意性」を見出すかどうかはかなり個人差がある。故に「大多数の考え」を摺り合わしたものが「適切な表現=常識」のラインになるわけで、それは慎重に議論しなければならない。(思うに我々はそれを怠りすぎている)
少なくとも私は上記のように「女の子の形したロボットが掃除しているイラストがジェンダーロールの強迫観念を引き起こす差別的なものだ」って主張には容易に頷けないし、ましてや人工知能学会が男女平等に仇名す敵だとはとても思えない。わざわざ四方八方に喧嘩売らずに、糾弾と告発の語法を捨てて、共存の道を探しては?なんて思うんだけど。

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